X-BLOG

The most certain way to succeed is always to try just one more time. --Thomas Edison

2007-02-28

2月は大敗

こんばんは、Xです。

先物シグナルは今月は大敗。先月も事実上(手数料考慮)は負けですから、今年はボロボロですね。

先月に日経大暴落の夢を見たと書きましたが、遅れてきた魔王は強力でした。すっかり夢のことなど忘れ、オプションのポジション上「調整に入ってくれ」などと願っていた矢先でした。押し目買いも活発なようですが、数日間は手出し無用と考えています。今日は疲れました、休みます。

2007-02-22

黒川紀章氏、出馬

こんばんは、Xです。

都知事選に出馬するそうですね。

黒川紀章氏、都知事選で出馬会見・「金持ち主義を変える」

いやぁ、スゴイ人が名乗りをあげたもんです。

黒川紀章氏と言えば、日本が世界に誇る建築家、天才です。東京は芸術と文化の華やかな都市になるなあ、やっぱり東京はバブルかな?なんて思ったのも束の間。

「東京を金持ち主義から経済と文化の共生主義に変える」と公約を説明。

首都機能の移転により「低所得者のための議員宿舎並みの都心住宅群ができる。貧乏人でも住める東京を」

「湾岸開発で五輪で群がるのは金持ち。泣くのは東京湾の生態系」

あれれ??黒川氏、いつから庶民の味方になったんでしょ。「経済と文化の共生」が公約らしいけど、元来切っても切り離せない関係では?経済イコール資本主義という意味なら、資本は文化のパトロンだと思うのですが‥。一言で文化と言っても、芸術から庶民風俗までありますけどね。

首都機能を移転して、東京を庶民の長屋にでもするつもりでしょうか?世界有数のハコモノクリエイターの黒川氏はどういう役割を果たすのか楽しみですね。

個人的には黒川氏を尊敬しています。叶うなら当選して欲しいですね。私は都民ではありませんので、投票できませんが、西のほうから応援しています。しかし「投票日はパリで迎える」って、相変わらず。本音を言えば黒川氏には俗世間と交わって欲しくなかったですね。

4月の都知事選、注目です。

転びました

こんばんは、Xです。

今日は商談先から帰社途中の地下鉄の階段で、派手に転びました‥。契約直前のご挨拶に伺ったところ、ドタキャン。それだけで相当めげていたのですが、不運は重なるものです(涙)勢い良く一段飛ばしで駆け上がっていたのですが、スリップして思い切り膝を打ち付けました。流血したし痛かったよおお。。オトナが転ぶと精神的にもダメージ大です。

帰社して、秘書に消毒してもらい、何故か『バナナ』を頂きました(笑)いやあ女性は素晴らしい。10以上年下の秘書に『オカン』を見ました‥。その後、妻が換えのスーツを持ってきてくれて、まるで子供な1日でした。おわり。

2007-02-20

バブルへ行ってきました

こんばんは、Xです。

先日紹介した映画『バブルへGO!!』を観てきました。結論から言うと、すごく良かったです。期待以上、想像以上です。これは単なるコメディではない、と思った次第です。それを伝えたいのですが、どうしてもストーリーを書いてしまうので、それでもOKなかたはどうぞ。

大蔵省からの「転売を目的とした不動産融資を規制する通達」がバブル崩壊の爆弾である、との前提で広末涼子がタイムマシンで1990年へ行き、通達を阻止するという映画。

バブル時代の建物やディスコ、タクシーチケット、船上パーティ、VIPルーム、赤坂の料亭、オープンハート、ボディコン、ソバージュ、等等、懐かしいモノモノが沢山出てきます。しかしこれらは小物の使い方に脈絡がなく、映画全体を安っぽくしている感じ。

広末涼子の母親役(薬師丸ひろこ)が演じる日立製作所の研究者が偶然に発明したというタイムマシンも、かなり無理がある。タイムマシンには体型制限があり、なぜか母親と娘しか乗れないのもツライ。

過去にさかのぼって歴史を変えることは、その後の(現在の)自分の存在までも変えてしまい(サイクリックに作用する)、よくよく考えると矛盾だらけになるはずだが、この映画もその通り。

要は、テーマは面白いが、何だかイマイチなのである。

では何故「イイ!」のかと言うと、ラストである。ラスト10分間だけで十分価値のある映画だった。バブル崩壊は防げ、日本は発展を極めるのである。これがイイ!2007年の東京(日本)は素晴らしいのだ。もしかしたら日経平均は20万円台かもしれない(勝手に想像)。

バブルではない真の繁栄、そういうものがあるんだと私は感じました(拡大解釈かもしれないが)。だから、今の日本もこれからもっともっと良くなる、良くすることができるんだ、と思わず感動しました。

ネタバレと書いたが、そうでもない。そもそもこの映画はネタはどうでもいい。
この映画は、過去を懐かしむものではなく、未来に向かって希望をもつための映画である。
フジテレビと電通なので、今年中にはテレビ放映されるでしょう。お楽しみに。


2007-02-16

どうなる竹島

こんばんは、Xです。

日韓双方のナショナリズムがぶつかり合う問題、竹島(韓国名称:独島)。
気になるニュースがありました。

独島に10世帯20人が暮らせる村造成へ(朝鮮日報)

日韓双方の主張は当事国にとっては「真実」であるわけで、早く国際司法の手に委ねて判断をしてもらいたい。といっても韓国が応じない以上、国際司法裁判所は動けないわけだが。
ネットで色々見てみたが‥これが私の想像以上に根深い問題であることがわかったのである。


正直私は、これまでの歴史を含め竹島事情を良く知らない。今回のこのニュースを見て、ネットで調べた程度の知識で記述していることをお断りしておきます。
その多くは外務省のHPによるものだが、私の所感も入った推論、勝手な解釈もあります。

まずこの問題をわかり難くしている原因の1つが島の名称である。当時は両国にとってさほど重要視されていなかったのか、或いは測量技術が未発達だったのか、かなりいい加減である。右の地図はキーワードとなる「現在の竹島」そして鬱陵島の位置関係だ。この2つの島の名前が勘違いされたり、或いは確信犯的に誤りを利用されたり、まあひどい。そもそも現在の竹島はかつて松島と呼ばれていて、鬱陵島が竹島と呼ばれていた。もうこの時点でヤバイ。以降混乱するので、鬱陵島を「A島」現在の竹島を「B島」と表記する。

1787年、フランスの航海家ラ・ペルーズが「A島」を訪れ「ダジュレー島」と命名した。そして2年後、イギリスの探検家コルネットが同じ「A島」を訪れ「アルゴノート島」と命名した。ダブルネームである。しかも、2人の測定した経緯度にズレがあったことから、「A島」が別名で2つ存在してしまうことになった。コルネットはダジュレー島を地図で知っていた筈だが、彼の測定に誤りがあり「ここは、ダジュレー島ではない!(と言ったかは知らないが)」新発見の島だと判断してしまう。そして架空の島アルゴノート島が誕生する。ヨーロッパの地図には実際2島が描かれていたそうだ。

そして60年後、日本人にもおなじみのオランダ人医師シーボルトが事態を更にややこしくする。彼は1840年に「日本図」を作成したが、日本と朝鮮の間に島が2つあることを日本の文献で知っていた上に、ダジュレー島とアルゴノート島をヨーロッパの地図で知っていたため、位置関係から、「A島」を松島、架空のアルゴノート島をタカシマとしてしまう。(この時点では一般的に松島といえば「B島」である!)

シーボルトの「日本図」から40年経って、日本政府が現地調査を行い「日本図」上の松島は鬱陵島「A島」だということ、みんなが松島と呼んでいる島は実は地図上は「B島」であり、今後は竹島と呼ぼうということになった。オイオイ、竹島は以前の「A島」なんだから、余計に混乱する。別の名前のアイデアはなかったものだろうか‥。

日本側の問題だけでも島自体の存在、そして名称だけでここまでややこしいのだ。韓国側の歴史文献などにも多くの間違いがあるようで、それが更に問題を複雑にし、時にその誤記を利用し過去からの支配性の根拠としているようだ。しかし、私は韓国側の情報をきちんと取っていないので、推測の域を超えない。


ちなみに現在の日本政府はB島を領土と主張しているが、その経緯がなかなか面白い。江戸時代はA島について日本が実質的支配、領有権を持っていたという。その論拠が江戸幕府が認めた「渡航免許」である。A島ではアワビが良く取れていて幕府に献上するのが慣わしだったそうです。そして米子に住む、大谷さんと村川さんに幕府御用達としての渡航免許を与え、A島を独占支配していた。大谷・村川両家の持つ船には「葵の紋所」がついていたそうです。当時A島は竹島と呼ばれており、B島は松島である。アワビの漁場はA島だが、航路上にあるB島も自然にアワビ漁が行われるようになり、よって実効的支配がなされ、現在の竹島(B島)は昔から日本の領土ですよ、という論拠のスタートでもある。

では、なぜ江戸時代に独占していたA島の領有を現在の日本政府は主張していないのだ、という疑問が湧く。その理由は「竹島一件」という朝鮮と対馬藩(=江戸幕府)のトラブルにみることができる。先述した幕府御用達のアワビ漁は70年ほど続いた。しかしあるとき(1692年)A島で漁をする朝鮮人を多数発見、しかも内2名を逮捕し日本に連れてきたのだ。安龍福(アン・ヨンボク)と朴於屯(パク・オドゥン)だ。安龍福は、後に重要な(日本にとってはとんでもない)行動にでることになる。

その事件を知った幕府は、2人を送還し、また朝鮮に対しA島への渡航を禁止するよう伝えたが、帰属問題を巡り交渉は決裂。朝鮮もアワビの旨さを知り、A島が欲しくなったのか?そこで幕府は事件から4年経った1696年に「A島(当時は竹島)は朝鮮のほうが近いし、アワビはB島(当時は松島)でも取れるし、日本人も住んでないし、まあいいか。」みたいな判断をし(笑)、日本人がA島に行くのを禁止することを正式に朝鮮に伝えた。書契を見ていないのでわからないが「竹島(注:A島)は朝鮮のものです。竹島にはもう日本人は渡航しません。」みたいな文面があったと推測する。これが「竹島一件」であり、「竹島は朝鮮のものだ、って江戸時代に正式に言ったジャン!」というのが、韓国側としての主張(根拠)の一つだろう。「竹島」と書いてあったとしても、それは「A島」であり、鬱陵島のことなのだが。

更に、事件で日本に一時は逮捕された安龍福は、1696年に再来日しているのである。韓国側の文献によると、安龍福は来日した際、江戸幕府から「A島だけじゃなくてB島(現在の竹島)だって朝鮮のものだよ」という旨の書契を受け取ったとされている。そんな書契を幕府が発行した記録は日本にないのだが、韓国側によると、「朝鮮に持って帰るつもりが、対馬の藩主に奪い取られた」ということです。無許可で漁をしていた猟師・安龍福に対して、江戸幕府がそのような正式な書契を渡すとは、常識的には考えられないが、誰も見たわけではないので、書契があったともなかったとも言い切れない。韓国側は、島の名称の錯誤問題をこの「2島とも朝鮮のものだよ」という書契があったという「事実」でクリアーしていることになる。


その後、両国間にB島を巡るトラブルがあったのか、なかったのかは私は知らない。アワビの不漁でも続いたか?(笑)


1900年に朝鮮は「大韓帝国勅令41号」を出し、正式に領有権を確立したとされています。「鬱陵全島と竹島、石島」を領土と認定しているようですが、調査によってこの勅令に表記されている「竹島」とは、実際はA島のすぐ傍にある「竹嶼」という小島であることが判明。では、竹島(B島)は領有権を確立していないではないか、となる。しかし、石島が竹島のことらしい。石の発音は(トル)であり、地方によっては(トク)とも発音されるとし、石(トク)=独(トク)となり、現在の独島であるとするものである。しかし一方で、B島の当時の韓国側の名称は「于山島」と主張しており、何だか解せない部分もある。

日本でも1908年に閣議決定で、B島を島根県とし「竹島」と正式に命名した。これを期にアワビ島にでもすれば良かったと思う。




竹島問題、なかなかの大物である。まだまだ続くのである。

============チョットしおり===========




日本は第二次世界大戦に敗れ、連合国の占領下となります。竹島が韓国の領土だと主張する最大の論拠が登場します。

古い順に、
1.ポツダム宣言による全面降伏勧告

2.連合国総司令部覚書(SCAPIN)

3.サンフランシスコ講和条約

4.韓国による海洋主権宣言

まず、1.で日本の主権が及ぶ地域を限定すると謳っています。第8項に「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とあり、注意すべきは「吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」であり、この時点で諸小島は特定されていません。

次に、2.ですがこの覚書の第677号こそ、韓国主張の核心です。この覚書で、日本が政治上・行政上の権力を行使しうる地域を制限しており、鬱陵島・済州島・竹島・伊豆諸島・小笠原諸島が、権力を行使うる地域外と明記されています。これを以って韓国は、日本の領土ではない=韓国の領土だ、としているわけです。更に第1033号には「日本船舶又はその乗組員は竹島から12マイル以内に近づいてはならず、またこの島との一切の接触は許されない。」(→マッカーサーライン)とあります。確かに、これでは日本の領土とは呼べない気もします。しかし第677号、第1033号ともに「最終的決定に関する連合国の政策の表明ではない」と但し書きがあります。これは一時的な指令であり最終決定ではない、というのが日本側の理解です。では最終決定は、どこに定義されるか?3.の平和条約です。なぜ韓国が最終決定の3.を根拠とせず、2.を根拠としているのかも見えてきます。

3.において、日本が放棄すべき地域は「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定しました。SCAPINで明示されていた竹島の記述がありません。これに対し、ヤン韓国駐米大使は、国務長官ダレス氏に、竹島を明記するよう求めました。韓国にしてみれば当然の抗議だとも言える。アメリカの回答はこうである。

"独島または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩礁は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。"
(国務省の正式外交文書)

却下され、正式に発効してしまったということです。従って、韓国の頼る根拠は、2.の覚書となっていると思われる。

4.は「李承晩ライン」と呼ばれている。韓国が自国の漁業管轄権の及ぶ水域(ライン)を国際法に則らず一方的に宣言したもの。この水域に竹島を含めている。サンフランシスコ講和条約の前にマッカーサーラインは撤廃されています。代わりに李承晩ラインを設定したのでしょう。この宣言は現在においても韓国国内では有効で、竹島を武装しているのも、日本の海上保安庁巡視船が2度にわたり銃撃を受けている(外務省公式情報)のも、韓国にしてみれば自国の領土を侵略しているのですから、当然の措置なのかもしれませんね。ちなみに非公式ですが、こんな情報もあります。

・日本漁船が1000船以上拿捕されている。
・民間人への発砲行為により44名も死傷者が出ている。

これらをうけ、日本政府は1954年と1962年にこの紛争を国際司法裁判所に付託するよう韓国に提案しましたが、韓国は受け入れていません。冒頭に書きましたが、紛争の両当事者が同裁判所において解決を求めるという合意があって初めて動き出すという仕組みになっているので、前に進まないわけです。


サンフランシスコ講和条約において、竹島が明記されなかった理由(といって良いと思うが)にこんなものがあります。草案段階において、実は第一草案から第五草案までは、日本の領土から竹島を除くと明記されていたそうです。ところが第五草案を見た初代駐日大使のウィリアム・シーボルト氏(またシーボルトかい!)が、国務省次官補のバターワース氏に次の意見書を提出し、第六草案から竹島が外れたそうです。

"朝鮮方面で日本がかつて領有していた諸島の処分に関し、リアンクール岩(竹島)が我々の提案にかかる第3条において日本に属するものとして明記されることを提案する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ、かつ、それを朝鮮沖合の島というのは困難である。また、アメリカの利害に関係のある問題として、安全保障の考慮からこの島に気象及びレーダー局を設置することが考えられるかもしれない。"

最後の一文が何かを物語っています。この意見書は米国立公文書館に保管されているとのこと。



(最後に)

私の目に触れた情報はすべて日本国内にある情報であり、そこに全くの国家的意図がないとは言い切れず、また日本国内で教育を受けたために同様のバイアスがなかったとは言い切れない。だから、ここでの記述に何らかのナショナリズムが根底にあることを否定しません。同様に韓国国民もそうでしょう。彼らの触れる情報、教育の多くは国策を一切排除したものとは言い切れない。現在の日韓の国民、おそらくが「どちらも正しい」状態にあると考えています。それをどう表現するかは国民性の問題であり、善悪を簡単につけられるものではない。だからこそ竹島問題のような国際紛争は、国際司法裁判所の手に委ねられるべきだと思います。
以前テレビで「国際司法裁判所への提訴に反対する韓国国民の声」みたいな街頭インタビューを見た記憶があります。勿論賛成の方もいましたが、その理由は"それで日本人が黙るならやればいい"というものでした。反対する方の論拠には、"日本に領土を奪われる可能性があるのにわざわざ提訴する馬鹿はいない"、というものがありました。これはナショナリズムの弊害だと考えます。翻って逆の立場を想定するときに、このような反対根拠を安易に否定できないと感じました。また、愛国と他国敵視は違います。それを全ての人間が心底理解するまでには多くの時間が必要でしょうね。或いは不可能なのかもしれません。

当ブログ至上、最大文字数の予感(汗)


2007-02-10

バブルへGO!!

こんばんは、Xです。

最近は邦画がいい感じで盛り上がっています。『それでも僕はやっていない』もまだ観れていないのですが、もっと観たい映画が出てきてしまいました。広末涼子と阿部寛の『バブルへGO!!』です。


何はともあれ、右の画像をクリックして、更に黄色いドラム式洗濯機をクリックしてください。


この映画は、バブルを全然知りません、という幸せな方は観ても何も感じないでしょう。逆に全盛期を過ごした人、恩恵にあずかった人、そして弾けてしまった人にとっては、甘く切なく、そして苦い思い出に浸れることウケアイ?

私はと言うと、大学3,4年位の時が全盛期だったのかな?就職した頃はまだ好景気だったように思います。就職活動なんて楽チンで、行きたい会社はどこでも入れましたから(笑)入社内定後は、研修という名の温泉旅行、同期の友人は入社祝いに車をもらった人もいます。

あの頃は、「これが日本なんだ」と思っていました。特に東京に住んでいましたから、かなり実感できたと思います。確かにオトナは自信に溢れていたと思います。たとえそれが泡沫だったとしても。

『日本人であることが最高にカッコイイ時代』

誰かがそんなことを言っていたのを覚えています。世界中に日本人が溢れ、ジャパンマネーが溢れ、他国に何と言われようが『日本人最強』であったことは間違いない。能力のある人間はとんでもない金を手にし、そうでない人間もそれなりの金を手にした‥。全体として高いレベルでの格差であれば問題にならないものです(笑)

あの時代が良かったのか悪かったのかと聞かれれば、良かったのでしょう!さっさと現金化してリタイヤしている人も何人か知っています。日本の超富裕層の何割かはバブル逃げ切り組ではないでしょうか。タイムマシンがあれば‥どれほど多くの人が願ったことでしょう。この映画では、広末涼子が現代から当時へタイムマシンに乗ってバブル崩壊を阻止しに行くそうです。頑張れ広末!(笑)


2007-02-08

緘口令

こんばんは、Xです。

例の大臣発言、もう1つ。


もう笑うしかない。しばらく黙っておけば良いものを。言葉の粗探しなどその気になれば幾らでもできるということです。メディアでは、大臣の発言が『子供は2人以上産みたいと思うのが健全』などと”天邪鬼的解釈”が施され、2人以上産みたいと思わないのは不健全ということかあああ?!とまた例によって噛み付く輩が多数‥。

社民党の福島みずほ党首らは、既に先の発言(機械発言)をうけ、大臣に辞任するよう申し入れているが(社民党HP参照)、今回の第2弾発言に対しても6日の党参院議員総会で強く抗議する旨の発言をしたとのこと。やっぱりね‥。

お騒がせ大臣の第2弾発言は下記の通り。

『家庭を営み、子どもを育てるということには、人生の喜びがあるんだという意識の面で、自己実現といった広い範囲で、若い人たちがとらえることが必要だと思う。他方、ご当人の若い人たちは、結婚をしたい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいるわけです。そういう若者の健全な希望に、我々がフィットした政策を出していくということが大事だと思っている。』


何もおかしなことは言ってませんよね??

家庭を持ち、子を育てることも人生の喜びの1つであり、自己実現の1つだと思う。そういうことを若い人達にもっと伝えていくべきだと思う。一方、結婚して子供を2人以上持ちたいと思う若い人もいるわけで、そう思うことは極めて健全なわけです。そういう若い人たちの希望が叶うような政策を出していき、社会を作っていくことが大事だと思う。

‥私には、そう聞こえる。

言葉とは難しい。本当に難しい。聞き手によって話し手の意図しない趣旨で伝わってしまうこともある。特に「今の」柳沢大臣では、何を言ってもダメなんだと思う。発言すること自体を暫く自粛したほうがいい。緘口令でも出すべきだ。「行間を読む」というのは、日本人の素晴らしい才能だ。しかし、悪意をもってするとこんなにも醜い。残念で仕方がない。まあ、それを通り越して笑うしかない。



ところで今日、社内SNSで盛り上がっていた話題を紹介します。

上記でも紹介した、社民党党首の福島みずほさん。ご自身のHPでも女性のためのマニフェストを掲げ、自他共に認める女性や母親の味方です。

そんな福島さんのHPにこんな記述が。

『子供を埋めたい人の気持ち』

現在は、削除(?)されているようですが、記載時のスクリーンショットはこちら。柳沢大臣への街頭抗議活動への参加をトピックスで呼びかけていました。その中の記述です。

「子供を埋めちゃ、いかんだろ!虐待どころの騒ぎじゃないよ!」

‥とは言いません。そんなことを公言する政治家はいないわけで。明らかなタイプミス。だから噛み付かない。これがオトナというものです。この記述を福島さんは、何のコメントもなしに消している。訂正記事を書くほどのものでもないからです。

1.「産みたい人」と書く筈だった。
2.子供を埋めたいなどとは決して思っていない。
3.意図していないことである(無意識であり悪意なし)。

しかし、彼女流の追い詰め方でいくと、
政治家たるもの己の発言に対して責任を持つべし。意図しないなどと言うのは言い逃れであり、実際に子供を埋められてしまった親の痛み苦しみをわかってない。失言というのは、普段からそう思っているから出てしまう。無意識とはそういうものだ!謝罪したからといって免れるものではない!即刻辞任せよ!

とくるのかな(笑)ちなみに「み」と「め」はローマ字入力なら、そもそも母音を打つ手(左右)が違う。日本語入力でも、キーが5個も離れています(笑)漢字変換もしているわけだし、言い訳の余地なしかなあ?

「私が直接入力したわけではなく‥」なんて言おうものなら、「秘書がやったと言えば済むと思うのか!」となりますし、苦しいですね。福島流に攻められたら‥。私なら降参です(笑)


‥とまあ、大臣を攻め立てる福島さんも足元がアイタタタ、な状況なわけです。こんなことをしていると国民の政治離れは進む一方で、社民党の支持者だって離れていくかもしれない。よく考えて欲しいものです。最後にこんな低レベルな政治をしている方々に一言。

『 人を呪わば穴二つ 』


以上、長文失礼しました。


2007-02-07

散髪と20円抜き

こんにちは、Xです。

なんのこっちゃわからんタイトルですが、散髪と20円抜きをしたということです(まんま)

今日は兼ねてより評判の悪かったボサボサ頭をバッサリとカットしてきました。温め過ぎて発酵しそうになっていた先物の売り玉が、髪を切ってもらっている間に17210で約定。メデタイ、メデタイ。しかし、これだけ温めて20円とは‥。

髪は小奇麗になりました。
ザ・サラリーマンって感じ(汗)

2007-02-06

大臣の問題発言

こんばんは、Xです。

多くのブログでこの話題が花盛りですね。決してフェミニストではない私ですが、つぶやいてみます。

野党や女性議員から、大臣としての資質にかけるということで辞任を求める声が出ているのは皆さん周知の事実です。

「女性=子供を産む機械」だと、そういうことを言いたかった発言ではないことは、騒いでいる方々もわかっているでしょう。発言の前後の文脈を読めば誰でもわかる。

では何故騒いでいるかというと、確信犯的に言葉の一部をあげつらう、揚げ足を取る、そういうことをしているわけです。今は小泉さんの確立した劇場型政治ですから、そういう「短いキーワード」が国民に響くことを学んだからであり、何故響かせる必要があるかと言えば、当然選挙があるからです。

「女性=子供を産む機械」

これも問題ですが、騒いでいる方々も、

「国民=票田=自分が当選するための機械」

そんな風に見ているわけですね。国民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。まあ、どっちもどっちで、日本の政治家のレベルの低さが今更ながら露呈しているわけです。

与党、政府もどうやってこの財政難を乗り切るか頭を悩ませているわけで、だからこそ税収の源泉である「国民数」の減少、少子化が問題だと言っている。少子化の問題は今に始まったことではなく、人口統計と推移予測は毎年行われており、しかし一方で女性の社会進出やジェンダー間の就労現場での格差是正に必死になっていた有名なフェミニスト達は、この少子化という問題を伏せていた気がします。

女性の社会進出=OK
性別による差別なし=OK
価値観の多様化=OK

当たり前ですが、上記に対して表立ってNGを唱える人もいないわけで。ところがそれぞれのトレードオフを語らない、蓋をしてきた結果が今の少子化問題ではないでしょうか。昔は女性が社会的経済的弱者であった時代があったことも事実です。ところがそれは民意によって是正され、国民が望んで変えてきた意識であり社会なのです。養ってもらうために結婚し、夫の思うままに妊娠し、子沢山で貧困にあえぐ女性も、昔に比べれば激減しているはず。仕方なく、という理由が薄れ、結婚するもしないも価値観次第。子供を作るのも作らないのも、或いは何人作るかなんて、自由な世の中です。誰も国力、富国なんて考えて子作りなんてしていません。国家のために国民が存在すると言う考え方は過去のもので、国民のための国家がどうあるべきか、それを考えて実行していく資質が政治家には求めたい。

少子化そのもの、本質的な善悪はない。少数民族や、国民の少ない国も多数ある。少子ということだけで良し悪しは語れず、単に今の(これからの)日本にとって都合が悪い、と考えられているだけである。有名なフェミニスト達も、女は家に引っ込んで子供の世話に専念しろ、なんて考え方に大いに噛み付いてきたわけで、それはそれで現代の民意として正しいと思う。

話を戻して、柳沢大臣の発言を善意に解釈すると、

『子供を産む機能を有する女性は、当然数が限られている。だから女性一人あたりの出産数が増えなければ少子化は止まらない。』

当たり前である。左脳ばかりが発達した年老いた男性が、精一杯ロジカルに表現しようとしただけである。ただ職業病だろうか、機能という面を機械と比喩してしまっただけである。国政に携わる人間、特に大臣などという要職につく人間には、時にシムシティ的な発想も必要だし、だからこそ、国民を何らかの機能を有する機械だと発想することは必要悪かもしれない。ただ発想するのは自由でも、公共の場で発言するのはあまりに手落ちである。人としては、私も妻に対して、大局的な説明をするあまり、ちょっとした例えや言葉の選び方に失敗して、ひどくお叱りを受けることがあるから、理解はできる。しかし大臣なんだから、それも仕事(職務)として、細心の注意を払わなければならないだろう。イコール、大臣の資質、ということかも知れない。

少子化という現状は、何も政府が誘導したわけではなく、多くの女性や国民が選択した民意だと思う。たくさん子供を産んで欲しいなら、女性が安心して多産できる社会や職場環境(or福祉制度)を作れ!大臣発言に噛み付く政治家はそう言っているわけです。しかしそれもある意味勝手な発言ではないでしょうか。そもそも税収難で、これまでやってきた福祉制度が破綻しそうなのは、国民の選択の結果でもある。少子化が問題ではなく、産めよ増やせよの時代こそおかしかった可能性もあるし、今後日本の人口は「適正量」に向かおうとしているのかも知れない。

少子化を食い止めないと福祉は破綻する、と言うのをやめてもらいたい。日本の福祉インフラの原因を少子化のせいにしている限りは、前年度比ゼロかプラスの出生率が保てない限り、いずれ同じ問題につきあたる。今後の福祉インフラの質と量を、現在の老年層人口の福祉レベルから逆算するのは、何か間違っている気がします。人口減少の過渡期には、避けられない痛みがあり、痛みの原因は選択である。痛みに耐えられなければ、国民はまた新たな選択をする。

理不尽だと思う向きも多いと思いますが、少子化の原因は政府が社会インフラを十分に整えられていないのも勿論ありますが、価値観の多様化を是とする民意の選択の結果でもあると思うのです。子供を産みたい世帯には、安心して産める福祉インフラを政府は整えつつ、国民は望むレベルと得られるレベルのギャップにも多少は耐えないといけない、そう思う今日この頃です。


愛ルケ

こんばんは、Xです。

渡辺淳一氏原作の映画『愛の流刑地』を観てきました。

今日は久々に昼間から妻とデートをしてきました。前から妻が観たいと言っていた”愛ルケ”を観たのですが、正直楽しい映画ではありませんでしたね。お客さんも中高年のオジサン率が高く、中にはそれっぽいカップルもちらほら。私は豊川悦司の演技が好きなので楽しみにしていたのですが、濡れ場濡れ場のオンパレードで、少々げんなり。まあ、もともと「官能小説」なので当然なのですが‥。ネタバレになるので内容は伏せますが、個人的な評価は50点位かな。しかし!エンドロールに流れる平井堅の『哀歌(エレジー)』はイイ!!映画館を出た足で、すぐにCD買っちゃいました。
妻も少々期待はずれ、と言うか思っていたのと違ったようでした。『不倫』について少し話をしていたら、妻が「自分は本妻だと自覚してない。」と爆弾発言が!!私があまり帰宅しないのでそれもあると思うのですが、「女は愛人のほうがシアワセ」だそうです。‥深いなあ、というかクリスチャンにあるまじき問題発言ですが‥(汗)今の暮らしは、私が帰宅する日を、お洒落をしたり料理を作ったりお酒を選んだりしながら待つのが楽しいとのこと。へえ、そうですか。私は妻を『愛人扱い』した記憶はないのですが、やっぱり女の心はわかりませんねえ。