X-BLOG

The most certain way to succeed is always to try just one more time. --Thomas Edison

2007-02-06

大臣の問題発言

こんばんは、Xです。

多くのブログでこの話題が花盛りですね。決してフェミニストではない私ですが、つぶやいてみます。

野党や女性議員から、大臣としての資質にかけるということで辞任を求める声が出ているのは皆さん周知の事実です。

「女性=子供を産む機械」だと、そういうことを言いたかった発言ではないことは、騒いでいる方々もわかっているでしょう。発言の前後の文脈を読めば誰でもわかる。

では何故騒いでいるかというと、確信犯的に言葉の一部をあげつらう、揚げ足を取る、そういうことをしているわけです。今は小泉さんの確立した劇場型政治ですから、そういう「短いキーワード」が国民に響くことを学んだからであり、何故響かせる必要があるかと言えば、当然選挙があるからです。

「女性=子供を産む機械」

これも問題ですが、騒いでいる方々も、

「国民=票田=自分が当選するための機械」

そんな風に見ているわけですね。国民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。まあ、どっちもどっちで、日本の政治家のレベルの低さが今更ながら露呈しているわけです。

与党、政府もどうやってこの財政難を乗り切るか頭を悩ませているわけで、だからこそ税収の源泉である「国民数」の減少、少子化が問題だと言っている。少子化の問題は今に始まったことではなく、人口統計と推移予測は毎年行われており、しかし一方で女性の社会進出やジェンダー間の就労現場での格差是正に必死になっていた有名なフェミニスト達は、この少子化という問題を伏せていた気がします。

女性の社会進出=OK
性別による差別なし=OK
価値観の多様化=OK

当たり前ですが、上記に対して表立ってNGを唱える人もいないわけで。ところがそれぞれのトレードオフを語らない、蓋をしてきた結果が今の少子化問題ではないでしょうか。昔は女性が社会的経済的弱者であった時代があったことも事実です。ところがそれは民意によって是正され、国民が望んで変えてきた意識であり社会なのです。養ってもらうために結婚し、夫の思うままに妊娠し、子沢山で貧困にあえぐ女性も、昔に比べれば激減しているはず。仕方なく、という理由が薄れ、結婚するもしないも価値観次第。子供を作るのも作らないのも、或いは何人作るかなんて、自由な世の中です。誰も国力、富国なんて考えて子作りなんてしていません。国家のために国民が存在すると言う考え方は過去のもので、国民のための国家がどうあるべきか、それを考えて実行していく資質が政治家には求めたい。

少子化そのもの、本質的な善悪はない。少数民族や、国民の少ない国も多数ある。少子ということだけで良し悪しは語れず、単に今の(これからの)日本にとって都合が悪い、と考えられているだけである。有名なフェミニスト達も、女は家に引っ込んで子供の世話に専念しろ、なんて考え方に大いに噛み付いてきたわけで、それはそれで現代の民意として正しいと思う。

話を戻して、柳沢大臣の発言を善意に解釈すると、

『子供を産む機能を有する女性は、当然数が限られている。だから女性一人あたりの出産数が増えなければ少子化は止まらない。』

当たり前である。左脳ばかりが発達した年老いた男性が、精一杯ロジカルに表現しようとしただけである。ただ職業病だろうか、機能という面を機械と比喩してしまっただけである。国政に携わる人間、特に大臣などという要職につく人間には、時にシムシティ的な発想も必要だし、だからこそ、国民を何らかの機能を有する機械だと発想することは必要悪かもしれない。ただ発想するのは自由でも、公共の場で発言するのはあまりに手落ちである。人としては、私も妻に対して、大局的な説明をするあまり、ちょっとした例えや言葉の選び方に失敗して、ひどくお叱りを受けることがあるから、理解はできる。しかし大臣なんだから、それも仕事(職務)として、細心の注意を払わなければならないだろう。イコール、大臣の資質、ということかも知れない。

少子化という現状は、何も政府が誘導したわけではなく、多くの女性や国民が選択した民意だと思う。たくさん子供を産んで欲しいなら、女性が安心して多産できる社会や職場環境(or福祉制度)を作れ!大臣発言に噛み付く政治家はそう言っているわけです。しかしそれもある意味勝手な発言ではないでしょうか。そもそも税収難で、これまでやってきた福祉制度が破綻しそうなのは、国民の選択の結果でもある。少子化が問題ではなく、産めよ増やせよの時代こそおかしかった可能性もあるし、今後日本の人口は「適正量」に向かおうとしているのかも知れない。

少子化を食い止めないと福祉は破綻する、と言うのをやめてもらいたい。日本の福祉インフラの原因を少子化のせいにしている限りは、前年度比ゼロかプラスの出生率が保てない限り、いずれ同じ問題につきあたる。今後の福祉インフラの質と量を、現在の老年層人口の福祉レベルから逆算するのは、何か間違っている気がします。人口減少の過渡期には、避けられない痛みがあり、痛みの原因は選択である。痛みに耐えられなければ、国民はまた新たな選択をする。

理不尽だと思う向きも多いと思いますが、少子化の原因は政府が社会インフラを十分に整えられていないのも勿論ありますが、価値観の多様化を是とする民意の選択の結果でもあると思うのです。子供を産みたい世帯には、安心して産める福祉インフラを政府は整えつつ、国民は望むレベルと得られるレベルのギャップにも多少は耐えないといけない、そう思う今日この頃です。


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