X-BLOG

The most certain way to succeed is always to try just one more time. --Thomas Edison

2007-02-16

どうなる竹島

こんばんは、Xです。

日韓双方のナショナリズムがぶつかり合う問題、竹島(韓国名称:独島)。
気になるニュースがありました。

独島に10世帯20人が暮らせる村造成へ(朝鮮日報)

日韓双方の主張は当事国にとっては「真実」であるわけで、早く国際司法の手に委ねて判断をしてもらいたい。といっても韓国が応じない以上、国際司法裁判所は動けないわけだが。
ネットで色々見てみたが‥これが私の想像以上に根深い問題であることがわかったのである。


正直私は、これまでの歴史を含め竹島事情を良く知らない。今回のこのニュースを見て、ネットで調べた程度の知識で記述していることをお断りしておきます。
その多くは外務省のHPによるものだが、私の所感も入った推論、勝手な解釈もあります。

まずこの問題をわかり難くしている原因の1つが島の名称である。当時は両国にとってさほど重要視されていなかったのか、或いは測量技術が未発達だったのか、かなりいい加減である。右の地図はキーワードとなる「現在の竹島」そして鬱陵島の位置関係だ。この2つの島の名前が勘違いされたり、或いは確信犯的に誤りを利用されたり、まあひどい。そもそも現在の竹島はかつて松島と呼ばれていて、鬱陵島が竹島と呼ばれていた。もうこの時点でヤバイ。以降混乱するので、鬱陵島を「A島」現在の竹島を「B島」と表記する。

1787年、フランスの航海家ラ・ペルーズが「A島」を訪れ「ダジュレー島」と命名した。そして2年後、イギリスの探検家コルネットが同じ「A島」を訪れ「アルゴノート島」と命名した。ダブルネームである。しかも、2人の測定した経緯度にズレがあったことから、「A島」が別名で2つ存在してしまうことになった。コルネットはダジュレー島を地図で知っていた筈だが、彼の測定に誤りがあり「ここは、ダジュレー島ではない!(と言ったかは知らないが)」新発見の島だと判断してしまう。そして架空の島アルゴノート島が誕生する。ヨーロッパの地図には実際2島が描かれていたそうだ。

そして60年後、日本人にもおなじみのオランダ人医師シーボルトが事態を更にややこしくする。彼は1840年に「日本図」を作成したが、日本と朝鮮の間に島が2つあることを日本の文献で知っていた上に、ダジュレー島とアルゴノート島をヨーロッパの地図で知っていたため、位置関係から、「A島」を松島、架空のアルゴノート島をタカシマとしてしまう。(この時点では一般的に松島といえば「B島」である!)

シーボルトの「日本図」から40年経って、日本政府が現地調査を行い「日本図」上の松島は鬱陵島「A島」だということ、みんなが松島と呼んでいる島は実は地図上は「B島」であり、今後は竹島と呼ぼうということになった。オイオイ、竹島は以前の「A島」なんだから、余計に混乱する。別の名前のアイデアはなかったものだろうか‥。

日本側の問題だけでも島自体の存在、そして名称だけでここまでややこしいのだ。韓国側の歴史文献などにも多くの間違いがあるようで、それが更に問題を複雑にし、時にその誤記を利用し過去からの支配性の根拠としているようだ。しかし、私は韓国側の情報をきちんと取っていないので、推測の域を超えない。


ちなみに現在の日本政府はB島を領土と主張しているが、その経緯がなかなか面白い。江戸時代はA島について日本が実質的支配、領有権を持っていたという。その論拠が江戸幕府が認めた「渡航免許」である。A島ではアワビが良く取れていて幕府に献上するのが慣わしだったそうです。そして米子に住む、大谷さんと村川さんに幕府御用達としての渡航免許を与え、A島を独占支配していた。大谷・村川両家の持つ船には「葵の紋所」がついていたそうです。当時A島は竹島と呼ばれており、B島は松島である。アワビの漁場はA島だが、航路上にあるB島も自然にアワビ漁が行われるようになり、よって実効的支配がなされ、現在の竹島(B島)は昔から日本の領土ですよ、という論拠のスタートでもある。

では、なぜ江戸時代に独占していたA島の領有を現在の日本政府は主張していないのだ、という疑問が湧く。その理由は「竹島一件」という朝鮮と対馬藩(=江戸幕府)のトラブルにみることができる。先述した幕府御用達のアワビ漁は70年ほど続いた。しかしあるとき(1692年)A島で漁をする朝鮮人を多数発見、しかも内2名を逮捕し日本に連れてきたのだ。安龍福(アン・ヨンボク)と朴於屯(パク・オドゥン)だ。安龍福は、後に重要な(日本にとってはとんでもない)行動にでることになる。

その事件を知った幕府は、2人を送還し、また朝鮮に対しA島への渡航を禁止するよう伝えたが、帰属問題を巡り交渉は決裂。朝鮮もアワビの旨さを知り、A島が欲しくなったのか?そこで幕府は事件から4年経った1696年に「A島(当時は竹島)は朝鮮のほうが近いし、アワビはB島(当時は松島)でも取れるし、日本人も住んでないし、まあいいか。」みたいな判断をし(笑)、日本人がA島に行くのを禁止することを正式に朝鮮に伝えた。書契を見ていないのでわからないが「竹島(注:A島)は朝鮮のものです。竹島にはもう日本人は渡航しません。」みたいな文面があったと推測する。これが「竹島一件」であり、「竹島は朝鮮のものだ、って江戸時代に正式に言ったジャン!」というのが、韓国側としての主張(根拠)の一つだろう。「竹島」と書いてあったとしても、それは「A島」であり、鬱陵島のことなのだが。

更に、事件で日本に一時は逮捕された安龍福は、1696年に再来日しているのである。韓国側の文献によると、安龍福は来日した際、江戸幕府から「A島だけじゃなくてB島(現在の竹島)だって朝鮮のものだよ」という旨の書契を受け取ったとされている。そんな書契を幕府が発行した記録は日本にないのだが、韓国側によると、「朝鮮に持って帰るつもりが、対馬の藩主に奪い取られた」ということです。無許可で漁をしていた猟師・安龍福に対して、江戸幕府がそのような正式な書契を渡すとは、常識的には考えられないが、誰も見たわけではないので、書契があったともなかったとも言い切れない。韓国側は、島の名称の錯誤問題をこの「2島とも朝鮮のものだよ」という書契があったという「事実」でクリアーしていることになる。


その後、両国間にB島を巡るトラブルがあったのか、なかったのかは私は知らない。アワビの不漁でも続いたか?(笑)


1900年に朝鮮は「大韓帝国勅令41号」を出し、正式に領有権を確立したとされています。「鬱陵全島と竹島、石島」を領土と認定しているようですが、調査によってこの勅令に表記されている「竹島」とは、実際はA島のすぐ傍にある「竹嶼」という小島であることが判明。では、竹島(B島)は領有権を確立していないではないか、となる。しかし、石島が竹島のことらしい。石の発音は(トル)であり、地方によっては(トク)とも発音されるとし、石(トク)=独(トク)となり、現在の独島であるとするものである。しかし一方で、B島の当時の韓国側の名称は「于山島」と主張しており、何だか解せない部分もある。

日本でも1908年に閣議決定で、B島を島根県とし「竹島」と正式に命名した。これを期にアワビ島にでもすれば良かったと思う。




竹島問題、なかなかの大物である。まだまだ続くのである。

============チョットしおり===========




日本は第二次世界大戦に敗れ、連合国の占領下となります。竹島が韓国の領土だと主張する最大の論拠が登場します。

古い順に、
1.ポツダム宣言による全面降伏勧告

2.連合国総司令部覚書(SCAPIN)

3.サンフランシスコ講和条約

4.韓国による海洋主権宣言

まず、1.で日本の主権が及ぶ地域を限定すると謳っています。第8項に「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とあり、注意すべきは「吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」であり、この時点で諸小島は特定されていません。

次に、2.ですがこの覚書の第677号こそ、韓国主張の核心です。この覚書で、日本が政治上・行政上の権力を行使しうる地域を制限しており、鬱陵島・済州島・竹島・伊豆諸島・小笠原諸島が、権力を行使うる地域外と明記されています。これを以って韓国は、日本の領土ではない=韓国の領土だ、としているわけです。更に第1033号には「日本船舶又はその乗組員は竹島から12マイル以内に近づいてはならず、またこの島との一切の接触は許されない。」(→マッカーサーライン)とあります。確かに、これでは日本の領土とは呼べない気もします。しかし第677号、第1033号ともに「最終的決定に関する連合国の政策の表明ではない」と但し書きがあります。これは一時的な指令であり最終決定ではない、というのが日本側の理解です。では最終決定は、どこに定義されるか?3.の平和条約です。なぜ韓国が最終決定の3.を根拠とせず、2.を根拠としているのかも見えてきます。

3.において、日本が放棄すべき地域は「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定しました。SCAPINで明示されていた竹島の記述がありません。これに対し、ヤン韓国駐米大使は、国務長官ダレス氏に、竹島を明記するよう求めました。韓国にしてみれば当然の抗議だとも言える。アメリカの回答はこうである。

"独島または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩礁は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。"
(国務省の正式外交文書)

却下され、正式に発効してしまったということです。従って、韓国の頼る根拠は、2.の覚書となっていると思われる。

4.は「李承晩ライン」と呼ばれている。韓国が自国の漁業管轄権の及ぶ水域(ライン)を国際法に則らず一方的に宣言したもの。この水域に竹島を含めている。サンフランシスコ講和条約の前にマッカーサーラインは撤廃されています。代わりに李承晩ラインを設定したのでしょう。この宣言は現在においても韓国国内では有効で、竹島を武装しているのも、日本の海上保安庁巡視船が2度にわたり銃撃を受けている(外務省公式情報)のも、韓国にしてみれば自国の領土を侵略しているのですから、当然の措置なのかもしれませんね。ちなみに非公式ですが、こんな情報もあります。

・日本漁船が1000船以上拿捕されている。
・民間人への発砲行為により44名も死傷者が出ている。

これらをうけ、日本政府は1954年と1962年にこの紛争を国際司法裁判所に付託するよう韓国に提案しましたが、韓国は受け入れていません。冒頭に書きましたが、紛争の両当事者が同裁判所において解決を求めるという合意があって初めて動き出すという仕組みになっているので、前に進まないわけです。


サンフランシスコ講和条約において、竹島が明記されなかった理由(といって良いと思うが)にこんなものがあります。草案段階において、実は第一草案から第五草案までは、日本の領土から竹島を除くと明記されていたそうです。ところが第五草案を見た初代駐日大使のウィリアム・シーボルト氏(またシーボルトかい!)が、国務省次官補のバターワース氏に次の意見書を提出し、第六草案から竹島が外れたそうです。

"朝鮮方面で日本がかつて領有していた諸島の処分に関し、リアンクール岩(竹島)が我々の提案にかかる第3条において日本に属するものとして明記されることを提案する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ、かつ、それを朝鮮沖合の島というのは困難である。また、アメリカの利害に関係のある問題として、安全保障の考慮からこの島に気象及びレーダー局を設置することが考えられるかもしれない。"

最後の一文が何かを物語っています。この意見書は米国立公文書館に保管されているとのこと。



(最後に)

私の目に触れた情報はすべて日本国内にある情報であり、そこに全くの国家的意図がないとは言い切れず、また日本国内で教育を受けたために同様のバイアスがなかったとは言い切れない。だから、ここでの記述に何らかのナショナリズムが根底にあることを否定しません。同様に韓国国民もそうでしょう。彼らの触れる情報、教育の多くは国策を一切排除したものとは言い切れない。現在の日韓の国民、おそらくが「どちらも正しい」状態にあると考えています。それをどう表現するかは国民性の問題であり、善悪を簡単につけられるものではない。だからこそ竹島問題のような国際紛争は、国際司法裁判所の手に委ねられるべきだと思います。
以前テレビで「国際司法裁判所への提訴に反対する韓国国民の声」みたいな街頭インタビューを見た記憶があります。勿論賛成の方もいましたが、その理由は"それで日本人が黙るならやればいい"というものでした。反対する方の論拠には、"日本に領土を奪われる可能性があるのにわざわざ提訴する馬鹿はいない"、というものがありました。これはナショナリズムの弊害だと考えます。翻って逆の立場を想定するときに、このような反対根拠を安易に否定できないと感じました。また、愛国と他国敵視は違います。それを全ての人間が心底理解するまでには多くの時間が必要でしょうね。或いは不可能なのかもしれません。

当ブログ至上、最大文字数の予感(汗)


4 Comments:

  • At 2/16/2007 05:13:00 AM, Anonymous 作戦計画 さんのコメント…

    長いっ ムズいっ ややこしい!!

    個人的には、江戸時代の話やサンフランシスコ講和条約の意見書を考えますと、日本の領土だと思います。

    しかし日本はこの手の外交問題にはメチャクチャ弱いみたいです。

    これも江戸時代の話ですが、プチャーチンとの北方領土(千島列島)問題でウルップ島をあっさり持っていかれたようですし・・・

    竹島(B島)もヤバイなぁ

    こちら(日本側)も対抗措置として、xさんの邸宅を竹島(B島)造り実効支配をするというのはどうでしょう???

     
  • At 2/18/2007 10:18:00 PM, Blogger xtakaphi さんのコメント…

    作さん>
    さすがに竹島には住めませんよ(^-^;
    政府も漁業権だけの問題でしょうし。江戸時代にはこの近域でアシカも獲っていたらしいですね。食べてたんだろうな‥。

     
  • At 2/20/2007 01:22:00 AM, Anonymous 作戦計画 さんのコメント…

    >政府も漁業権だけの問題でしょうし。

    いや、国防の問題だと思う。

    古今東西どこの国でも領土問題で揉めるのは、それが国家の存在理由の根本であるからだと思います。

    国家には自国民の生命と財産を守る義務があります。国境があいまいだと、この義務が果たせなくなります。存在意義が問われます。

    ただ、日韓両国の話し合いでは決着がつきそうにないので国際司法裁判で決めてもらったほうがスッキリすると思うのですが・・・

     
  • At 2/20/2007 03:02:00 AM, Blogger xtakaphi さんのコメント…

    国防や国境の問題というと、海に囲まれた島国ニッポン、やはり陸続きの国と比べると危機感が薄いのでしょうか。それがニッポンのDNAかなあ。

     

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