X-BLOG

The most certain way to succeed is always to try just one more time. --Thomas Edison

2007-03-04

ケータイ小説って

こんばんは、Xです。

主に女子中高生の支持をうけている「ケータイ小説」知ってますか?映画化されたり文庫本になったり、そりゃあもうビジネスとして成立しているらしいです。ケータイで小説読むってしんどそうと思うのだが、とあるPCサイトで(おそらく無断掲載と思われるのでここでは紹介しないが)有名なケータイ小説を読んでみた。

こりゃ酷い‥。申し訳ないがこれが第一印象。この手の文章で感動できるのが信じられない。感動する前に稚拙な文章(というか文章か、これ)に引っ掛かってしまい、感情移入がうまくできない。何百万人が涙したそうだが、もう私のようなオジサンとは涙腺の仕組みすら違うらしい。

小説は文学とは違うとの意見もあるでしょうし、私が初めて赤川次郎の小説を読んだときの印象(楽チン)も結局はケータイ小説と同じ次元の話なんだろうな。難しく書けば良いという物でもないから、1カテゴリとしてライトノベルやケータイ小説なんかがあってもいい。

キーワードは『共感』

多感な10代の心を掴むこと、これに限るらしい。10代に限らず、読み手を悩ませるような(色んな意味で)書籍は売れなくなって来ている。逆にサラサラと気持ちよく読める「成功本」や「ハウツー本」が売れているわけだ。オトナもコドモも同じ流れというわけである。

私が勝手に決めた、売れるケータイ小説のポイントは、

・主人公は女子中高生
・理解のない親
・悲しい恋愛
・過激な性描写(場合によっては妊娠も)
・大切な人の死、大怪我、病気
・反社会
・一人称
・話し言葉

これらを出来るだけ簡潔に出来るだけ平易な表現で、逆に擬音を沢山用いて表現することである。上にあげたキーワードを織り交ぜたら、ドジョウは何匹でも釣れるだろう。

どこにでもいる女子中高生の共感を得ることが目的なのだから、主人公がやたらと傾いた思想では困る。とは言え、感情の起伏は激しいほうがよい。むしろ起伏だらけじゃないとケータイ小説にはならない。

感情表現が肝だが、表現は簡単だ。

・喜(ウレシイ)
・怒(ムカツク)
・哀(ナケル)
・楽(タノシイ)

バリエーションを加えるとすれば、それぞれに「超」「マジ」「かなり」を付ければ良い。「てゆうか」「みたいな」「ってカンジ」を組み合わせれば、微妙な表現として十分だろう。

時代の風雪に耐える必要はないわけだし、「今」を切り出してステレオタイプな主人公が「プチ波乱」な生活設定にするのだ。老獪なオトナたちはこれに目をつけ、一大ビジネスに成長させた。決して文化の醸成など考えていない。儲かればよい。或いは開き直って「これが文化だ」と言うかも知れない。

「ゆとり世代」のコドモ達を非難或いは蔑むのは大きな間違いだ。オトナのコドモ化が進んでいるのだから、コドモは幼児化が進む。当たり前の話で当事者に責任はないだろう。また、ケータイ小説が若者の活字離れを食い止めたと嘯き金儲けをするオトナの卑怯さに言葉がない。

重ねて言いますが、1カテゴリとしてケータイ小説があってもいい。漫画だって日本の場合、文学的価値のあるものも多い。活字だらけの分厚い本が全てではない。しかし、時代の風雪に耐えた「堅くて難しい本」には、ケータイや漫画では得られない、一生記憶に残る素晴らしい精神的体験が待っていることを断言しておきたい。


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